古泉智浩の『オレは童貞じゃねえ!!』

マンガ家の古泉智浩です。ココログより引越ししました。

東京に行って来ました

 新幹線は2時間ちょっと掛かるのが苦痛なのですが、ポケモンのお陰で一瞬です。日課である木の実めぐりをしてジムリーダー戦して、街の人に話を聞いてるともう到着。と言っても、まだレベルで言うと30くらいで、合計時間も40時間です。

 渋谷の映画館で『弓』という韓国映画を見ました。キム・ギドク監督作品です。舞台が洋上の釣り船で少女を半ば監禁状態で暮らすおじいちゃんの話で、そのおじいちゃんはどう考えても童貞なんですよ。なんだこりゃって内容でしたが、見終わった後不思議と心に残るいい映画でした。

 大宮からモノレールで20分行ったところにあるコバケンさんの自宅にお邪魔して、夏に撮影した自主映画の音楽製作の打ち合わせをしました。彼は大学の時に所属していた美術研究会の後輩で、その後一緒にバンドをやったり台湾に行くきっかけを作っていただいたりとえらくお世話になった恩人です。一番最初にバンドを始めた時にも一度お邪魔したことがあって、もうそれは15年前くらいのことです。彼は友達を家に呼ぶ事があまりないようで、お父さんに巨峰を帰りにいただきました。そのお父さんも亡くなられて、お母さんと二人で暮らしていました。今回も「この子が部屋に友達を呼んで笑うなんて初めてなので……」とおっしゃられてしまいました。「僕もうちでは母とほとんど口を聞きません」とお答えした。映画の音楽はデモをもうCDで送ってもらってそれを映画に合わせて送り返してと、ほとんど決まっているところに、音色を具体的にどうするかという打ち合わせなのですぐに済みました。

 コバケンさんと話していると普段思い返すことのない昔の記憶が蘇った。コバケンさんとは爆裂無礼講というバンドをやっていてその初期にはゼミの先輩だった小林ひろみさん(男)という人にあれこれ教えていただいて、それこそライブハウスの借り方みたいなのから教えてもらったのだった。後に、21歳の12月25日クリスマスに吉原の早朝ソープに連れて行ってもらって童貞をなくすことができたのも、小林さんのお陰なら、下北沢の大内アパートに住み始めたのも小林さんが先に住んでいて、その隣が空いたのがきっかけだった。ギターのコードの進行についても教わって、それは未だによく分からないけど、分からなくてもとりあえず音を出して弾くやり方を教えてもらった。それこそ大恩人だったのだった。小林さんは、女性学のゼミの先輩で大学の1年の時に初めてお会いして、それから卒業してその後もお世話になった。お子様が産まれて東中野に引越ししてすっかり疎遠になってしまった。返す返すそれほどの恩人にほとんどさっぱり恩返しをしてないので、それは当時貧しかったで済まされない問題なのにも関わらず、何にもしてなくて、今では連絡先も全く分からない。なのでいずれまたご縁ができたら、何か絶対に恩返しをしなくてはならないとここで心に誓っておきます。なお、そのゼミではオレの一学年下に映画監督の村上賢司さんもいたんですよ。

 アクションの担当の平田さんに焼き鳥屋さんで打ち上げをしていただき、その後、編集部のパソコンで先日の試合の動画をみせびらかしました。

 新風社という『少年文芸』の大本の出版社の編集部に『ピンクニップル』の原稿データを持って訪ねました。青山一丁目にあるそのテナントビルは一緒にマイクロソフトが入っているようなとてつもない豪華ビジネスビルディングでビビりました。ヒルズ族か!? 詩の本を出している出版社なので、貧乏臭いところを想像していたのでブッ魂消たのですが、だったらもっと原稿料を吹っかければよかった。肝っ玉が小さいのでそんなことはできないのですが。みんなバリバリ働いていい仕事をしていい車に乗っていい飯を食っていい女を抱いているんだと思ったら頭に来たのでロビーで屁をこいてやりました。

 銀杏BOYZの通販用のTシャツのイラストを依頼していただいて、そのラフをスタッフの軽部さんに見ていただきました。軽部さんはUKプロジェクトで働いていらっしゃって、プチミットっていうバンドは友達がやってるんですよと話したら知ってるそうでした。銀杏BOYZがいかに革命的存在であるのかという勝手な妄想話を申し上げると暖かく聞いてくださっておりました。

 PASマガジンで連載中の『ところでここどこ』が本になるので、それに収録する用に熊切和嘉監督と対談していただきました。担当の帆苅さんが新幹線に乗り遅れて、先に監督とお茶をしていて、その時点で言いたかったことを全部話してしまい、後からまた言い直すのが気まずかった。その後、中野の中華屋で3時間飲んでました。監督は青島ビール、生、紹興酒を飲みついでまだ平気そうという酒豪ぶりで、映画監督の凄みを際立たせていました。ポールバーホーベンの作品について熱く語っておりました。

 『このマンガを読め!』で南信長さんに取材していただきました。3月に朝日新聞で『転校生』を紹介してくださったのも南さんで、実際お会いするのは井上デザインさんのお祝いパーティでお会いして以来でした。いろいろ聞いていただくと、普段閉じている記憶の扉がパカパカ開いて自分でもびっくりしつつ話させていただきました。ここでまんまり書くと記事とバッティングしてはまずいので、記事が掲載になったらそこで漏れたところをいずれ作文にしようと思います。実を言うと、オレは南さんのことを、お会いした時期が近かったせいか、他の出版社の編集の人と混同していて、今日はお会いして焦っていたのは時間に5分遅刻したせいだけではなかったのでした。

 東京駅に向かう中央線が、山手線の人身事故のせいで止まってしまい、帆苅さんとの待ち合わせに遅れました。なんで山手線の事故で中央線が止まるの?

 以上、日曜日から水曜日まで盛りだくさんで、本当はここにバンドのスタジオも入れる予定でした。もうへとへとだったので、なくて助かった。東京は日が暮れるとえらく寒くて、上京する前から咳がちょっと出ていたのが変な声になって来て、胸に湿布を貼った。咳は胸に湿布を貼ると本当にいいですよ。