古泉智浩の『読書とお知らせ』

マンガ家の古泉智浩です。ココログより引越ししました。

西新宿に住んでました

西新宿に住んでました
 今から15年くらい前、西新宿で三和荘という風呂なしアパートに住んでいました。訪ねてみると三和荘はすでになく、立派なマンションが建ってました。マンガ家の尾上龍太郎さんの結婚祝いのパーティがちょうどここからすぐそこの会場だったので立ち寄ってみました。近くにあった駄菓子屋は丸ごと更地になっていましたが、時々食べに行った近所の中華屋や当時からあったボロアパート群は未だ健在で嬉しくなりました。

 元々は中野坂上あたりで物件を探していたら、ちょっとずつ新宿に近づいて西新宿なんていうとんでもない都心に住む事になりました。1階と2階に二部屋ずつある物件で隣は偏屈なおじさんでした。騒音問題で小言を言われました。専用トイレが各々二つずつ、玄関の外にありました。6畳の和室と4畳半のキッチンがあって家賃は4万2千だったと思います。風呂無しの物件の方が値段の割りに豊かな面積で生活ができると思っていました。

 散歩コースが新宿になって、ゲームセンターでバイトしていた大学の時の友達の休憩時間を尋ねて、晩御飯をよく一緒に食べました。ディスクユニオンで中古CDを買いあさるのが趣味でした。

 青梅街道を挟んで都庁が聳え立ち、折れたらここまで届くのではないかという、オレが住んだ中で一番の都会だったのですが、近くにはボロアパートがたくさんあって、銭湯も夜中1時まで入れてマルショーというスーパーも12時まで開いていて、とても暮らしやすかったです。駄菓子屋やエロ自販機があったりもして、地味で確かな慎ましい生活が営まれていました。

 ある日、台風で電車が全部止まった時があって、電車で帰宅できない人々が寝泊りしていました。そんな夜、人気のないしょんべん横丁で食事をしたのですが、なんとも日常を踏み外した感覚がありました。

 歌舞伎町で『スピード』を見て、興奮して帰ったら阪神大震災が起こっていてビックリしました。ニュースを見ずに朝から映画を見に行っていたんですね。

 アパートの隣の母屋には大家のおばあちゃんが住んでいて、毎月家賃を手渡しで払っていました。引越しを告げると「いい人だったのに〜」と言って泣き出したので驚きました。別にいい事なんか何一つしないのに、そんな評価をいただいていたのは、他の住人がよっぽど生活態度が悪かったのかと思いました。おばあちゃんは杖を突くか台車みたいなのを押して歩くような人だったのに、病院でボランティアをしていました。立派な人だなーと思っていました。敷金は1か月分部屋の確認もせずに返してくれました。当時既に80歳をお超えになっていらしたと思うので、もう他界されていても全く不思議ではないです。アパートも母屋も丸々マンションになってしまっていました。ご健在でいらしたら是非とも挨拶させていただきたかったです。