古泉智浩の『読書とお知らせ』

マンガ家の古泉智浩です。ココログより引越ししました。

佐藤亜紀著『戦争の法』を読みました

 こうして作文をインターネットで発表するというのは図らずも知性を漏洩する行為だと思うのですが、本当に頭のいい人が描いた小説を読んだ後だと、恥ずかしくてやりきれないです。所詮偏差値47くらいのしかも定員割れをしていた高校を出て、一浪したのに二流半くらいの大学しか進学できなかった人間なんだから仕方がないと諦めるしかないと改めて思うわけです。

 佐藤亜紀さんの『戦争の法』を読んで新潟出身でこんなすごい小説家がいたのかと息を飲みました。

 おそらく1970年代のN県が、ソ連に占領されて分離独立するというとんでもない胸躍る設定です。主人公はその当時中学生で、彼の回顧録として小説は進行します。分離独立が決まるといつも家で不貞腐れていた父親は逃げてしまい、母は密造酒を作ってソ連兵相手の酒場を経営し、それは次第に売春宿も兼ねるようになり、主人公はソ連兵相手に通訳しながらいろいろな便宜を図って小遣いとはいえないくらいの蓄財に励みます。とある事件が起こり、友達と二人で町を逃げなくてはならなくなり、そのまま県境のゲリラに加わり、爆弾作りを学び戦闘に参加し、弱気になったりしながらもふてぶてしく生き抜くというのが大まかなストーリーです。

 このように非常に荒唐無稽な設定なのですが、ディテールがあまりに細かくリアルなので、本当にそういった事態に陥ったらきっとこうだろうというリアルなシュミレーションとなっております。例えば、始めの方で、ソ連に占領された途端、教科書を黒で塗り潰す事になるのですが、この時代は黒マジックで塗るので、裏まで黒くなって教科書が使い物にならなくなったというような描写です。特に戦闘場面は抑制の効いたリアルな描写で痺れます。

 ネタバレでもないですが、読み終わってからあれこれ調べた事をここから先に書くので、先入観を入れずに小説をこれから読もうと思っている方がいらしたら、ここから先はあんまり読まない方がいいかもしれないです。

 N県というのはきっと新潟だろうと思って読んだわけですが、調べると佐藤亜紀さんは新潟県長岡市のご出身でいらっしゃいました。N市は新潟市かなと思っていたのですが、どうやら長岡市みたいです。S市は新発田かなと思っていたのですが、N市が長岡なら多分違ってきそうです。確かに長岡は川と山に囲まれていて、後半の包囲戦はなるほどなと思われる地形です。オレも長岡にもっと詳しければあれこれ場面を空想して読めたのでちょっと無念です。

 他の小説もえらく面白そうです。『1809』はナポレオンの暗殺を『天使』は超能力を題材にしているというではないですか。この人ならきっとさも見たり体験したかのような文章で表現しているのではないかと思います。そういった架空の出来事をシュミレートする際に、リアリティをもたらすために細部に工夫を凝らすのも非常にすごいのですが、登場人物の心情がまた極めてリアルです。『戦争の法』は男子中学生が主人公で一人称で綴られており、いい具合のいじけっぷりが、凄まじく男子の心情そのものだったので、作者は男でユニセックスな名前を名乗っているかとすら思いました。調べたら女性の作家だったので、なんじゃこりゃと思いました。才能という言葉で片付けるのは好きじゃないですが、本当に凄まじい才能を見せ付けられ、打ちのめされた気分です。打ちのめされると言う事は、ちょっとは対抗する気があったのかと指摘されると、ますます恥ずかしいです。これでも物語作家の端くれなので、そういう気持ちは否定できません。あんまり打ちのめされるのもしんどいので、佐藤亜紀さんの小説は一年に一冊ずつくらいのペースで読もうと思います。

 佐藤亜紀さんの著作は絶版状態のものが多いようです。文章にとっつきづらい感じがありますし、優れていすぎるとあんまりヒットしないのかもしれないですね。オレは本を読むのが苦手なので1ページ2〜3分かかりました。内容が濃密で濃厚で、ゆっくりゆっくり読みました。