古泉智浩の『読書とお知らせ』

マンガ家の古泉智浩です。ココログより引越ししました。

匿名なのに伏字

 オレはもちろん、波風起こすような変な発言を申し上げるつもりは一切ないわけなのですが、ハンドルネームなど偽名のブログや、2ちゃんねるなど匿名掲示板での書き込みで伏字での発言って一体どんな意味があるのか、不思議な気持ちになります。ミクシィの見る人が限定の日記でもそうなのですが、有名人や商品の名前の一部を伏せて、でもそれが何かは丸分かりなような記述って、面白いシャレなんですか。批判を恐れて伏字を用いているわけでもないように思うんですよ。なぜなら偽名や匿名や身内に向けての発言なので。

 「言いたい事も言えないこんな世の中じゃ、ポイズン」と反町隆志さんも歌っていたわけですが、そんなシャレだかなんだかよく分からない自主規制ムードが、どんどん世の中を息苦しくさせる一因になっているような気もします。

 オレは世の中に対してなんの文句もなく、強いて言うなら感謝の気持ち以外なにもない人間なので、特に麻●首相にも東●原知事にも何も言いたい事もないですが、こんな風に書いてあると気持ち悪いですね。なんだこりゃ。このはっきりしなさ加減、言いたいのか言いたくないのか、どういう立場なのかボヤボヤします。

 「死ね」って言うとダメなんでしたっけ?「氏ね」なら大丈夫なんですか? 「麻●、氏ね!」。別に死んで欲しいわけでもなんでもないですよ。「殺す」って冗談でも書いたら、本当に逮捕されてしまうんですよね。ネットの書き込みがダメだったら、街頭演説みたいなので「●●を殺す」って言っても逮捕なんでしょうか。その昔、奥崎謙三さんは選挙カーみたいな車にでかでかと「田中角栄を殺す」って書いて街を走ってました。他の事件で逮捕されてしまいました。

 本当に失敗したと思うのは、実名でマンガを描いてしまっている事で、今日も仕事が忙しいと母に言うと「なんの仕事だ?」と聞かれ、人妻エロマンガだったために「なんでもいいろがね!」と声を荒げる羽目に陥ってしまったわけです。こんな事ならエロ泉オナというペンネームにすればよかった……それでは余計に気まずい。匿名なのに伏字な人は、こんな事態に対する配慮なのか。

 なんでもかんでも正直に言えばいいというものではないと、そのくらいは分かっているんですよ。楽しく会話しているつもりだったのに、気がつくと相手が涙目なんて事もごくごくたまにあります。おちょくるのと、いじめの境界線ってどこにあるんですか。KY(空気読めない)ですか。匿名でもIPアドレスから身元がばれる可能性を恐れての事なんですか。でも丸分かりの伏字なら意味がないです。

 悪口言うんだったら堂々と言えばいいじゃないか、丸分かりの伏字って陰湿なのかどうかもよく分からない、なんでも正直に言えばいいというものではない……などなどいろいろな考えが交錯して、何が正解なのかもよく分からないです。好き嫌いで言えば、伏字は見るのも嫌いです。