古泉智浩の『読書とお知らせ』

マンガ家の古泉智浩です。ココログより引越ししました。

後藤真希ちゃんのお母さんと『母なる証明』

 後藤真希ちゃんのお母さんの事件報道に触れて『母なる証明』という映画を思い出しました。去年見て、あんまりにずっしり来てしまい、映画のクオリティとは関係なく未だに評価できず、ベストテンでもスルーをしてしまったのですが、この映画で描いていたテーマはまさしく後藤真希ちゃんのお母さんの思いに通ずるものであったなあと思いました。

 他所ではもうとっくに上映が終わっているので気にしなくてもいいかもしれないですが新潟は今ようやく公開中で、ネタバレになってしまうので、これからって人はここから先は読まないで下さいね。

 主人公である、お母さんが息子の無実を信じていたら、結局息子がやっぱり犯人だったため、その証拠を隠蔽するために殺人を犯してしまうという本当にずっしり来るバッドエンドで、オレは物語の常道として息子が無罪であったとばかり思っていたために、その後の展開があんまりな事に本当に魂消て帰宅して寝込みました。いかにオレのストーリー至上主義が脆弱であったかとすら思いました。困った事にストーリーとしてはとても自然に語られていたんですよ。完璧じゃないですか? この映画が3位なんて、改めて映画秘宝は素晴らしい!

 そんな無茶苦茶な行動が、しかしそれが母親の愛情であり狂気であるというものだろうと納得至極でもあり、ちょっと困った表情の不思議な踊りがまたずっしりと来るのです。新潟でも上映が始まっているんだけど、朝の9時から1回上映なんですよね。朝からこんなの見たらもう一日が終わってしまう。

 後藤真希ちゃんのお母さん、後藤時子さんですが、居酒屋を経営していらっしゃり、女で一つで真希ちゃんをはじめ、息子の祐樹さんなど4人も育て上げ、ヲタが居酒屋を訪ねて行っても快く迎えてくださっていたと我々ヲタの間では知られていました。

 そんな時子さんが、祐樹さんの収監で会えない事に死ぬほど胸を痛めていらっしゃったと報道されています。ええ?と思いました。窃盗団を結成して、首に鯉の刺青を入れたあんなヤクザな息子に会えないのが死ぬほど辛いってどういうことかと思いました。オレが祐樹の父親だったらとっくにお手上げだったと思うんですよね。こんな奴どうしようもないと勘当してますよ。手に負えないです。ところが『母なる証明』を思い返すと、母とはそういうものなのかなあと腑に落ちました。ポンジュノ監督は男で、まだ若いのになぜそこまでの思いを表現できるのか。時子さんも記憶をなくすツボに針を打つことができていれば……。

 また、祐樹受刑者は子供が何人もいて時子さんにとっては孫に当たります。そういった孫は息子の替わりにはならなかったのでしょうか。真希ちゃんなども普通に同居しているじゃないですか。それほどまでに祐樹が特別だったのでしょうか。そんなオレのふとした疑問も『母なる証明』を思うと、そういうこともあるかもしれないと納得してしまいます。

 時子さんが三階の祐樹さんの部屋から飛び降りた際に真希ちゃんは自分の部屋にいたそうです。真希ちゃんが、肝臓を痛めるほどすでにお酒に溺れていた時子さんに「お母さんまたお酒飲んだの?もう飲まないでって言ったでしょ」なんて口論でもあったらなんて想像すると気の毒で仕方がありません。これまでオレやオレの仲間は真希ちゃんのスキャンダルや祐樹さんの転落や犯罪を「おっととっとサツだぜ!」などと冗談のネタにして面白がってきたわけですが、そんな一々に時子さんは深刻に胸を痛めていたと思うと申し訳ない気持ちで一杯です。オレだって母親が死んだり、ましてや自殺なんてしたら辛すぎる。

 後藤時子さんのご冥福をお祈りいたします。