古泉智浩の『読書とお知らせ』

マンガ家の古泉智浩です。ココログより引越ししました。

ちょっと南相馬市に行ってきた2

 これまで一度も人を励ましたことのない男、それがオレですが、そんなオレが深刻に物資が不足して大変な思いをしている避難所はお彼岸の終わりを待っていられないと、行ってみることを決意しました。援助物資を勝手に持っていって白い目で見られたなんてツイートがあったよと妻に言われもしましたが、一方では集積された援助物資がなかなかうまく回らない避難所もあるという話もありました。オレは人を励ました事はないけど、人様の実際の行動の意義は尊重するし敬意は払ってきたつもりなんです。今こそこっちが行動するべきところじゃないかと、否定的な意見を黙殺する事にして、被災された皆さんの役に立ちたいし、できれば感謝もされてみたい!オレだって人間なので! でも最悪、白い目で見られるケースも想定しておいた方がいいかもしれないと思いました。

 被災地で一番足りていないのはとにかく燃料だったのでガソリンや灯油を持って行きたかったのですが、ガソリンは新潟でも前日まで満タンで給油ができていたのに、昨日は一人2千円までの制限が設けられていました。灯油はポリタンクがひとつも売っていなくて、新潟でも買占めが起こっておりました。マツキヨでもトイレットペーパーやティッシュペーパーが一人1つまでしか販売してくれなくて、プラントではおむつも一人一パックまででした。持って行った時にぎっしり感が出るようにそういった紙類をたくさん買いたかったです。妻とオレで二つずつ、2箇所で買占めを行為を行ってしまいました。ほかに歯ブラシ、生理用品、お菓子類、下着などなど安物ばかりですが、車の荷台はなかなか充実しました。

 

 それで、ガソリンが足りなくなるわけにいかないじゃないですか。被災地の人が買うガソリンを奪うことになるし、そもそも売ってないとかすごい車列だとか聴いてました。ガソリンはポリタンクに入れて売ってもらえないんですよ。消防法で定められた携行缶で買わないといけなくて、その缶自体が6千円くらいして嫌だなと思っていたら、在庫もなかったです。なんとかギリギリで行って来れる距離なんだけど、ギリギリでは心配じゃないですか。それにちょっとうろついてみたい気持ちもありますよ。マンガ家だし、そもそもスケベ根性があるし、でも立ち往生はまずい。同級生がガソリンスタンドで働いているので貸してくれないかと聴いたら、売れて在庫がないし持ってないと言われました。別の自動車整備工場の同級生に聞いたら、「そういった事情なら」と貸してくれて、しかも工場が計画停電で発電機を使う際に備えてタンクにはガソリンが入っているのを貸してくれました。旭自動車整備工場の高橋くん!本当にありがとう!新津の工場で、すばらしいお店なので皆さんぜひご利用ください。オレは車検からオイル交換からタイヤの交換まで全部面倒見ていただいております。

 朝、8時に出発のつもりだったんだけど、ぐずぐず食事していたら8時半になってしまって、昨日ぐるぐる走り回って減った分のガソリンを継ぎ足しに給油に行って、3時間くらいでお昼くらいに到着してその後ちょっとブラブラして夕食までに戻る計画でした。磐越道が開通したらしいので、だったら休日千円で乗れるかなと思ったら緊急車両のみでした。ETCを入れてから下道での遠出もあんまりしなくなっていたので、それもたまには悪くないなと思いました。サザン、オザケン、そして世界一のバンドであるビートルズなど普段は滅多に聴かない音楽を掛けるとこれがまたすごくよかった。銀杏BOYZは刺激が強すぎると思った。『人間』『光』など慈愛のこもった曲はとてもよかった。こんな時はレディオヘッドではなく、オアシスだとiphoneに入れなかったことを後悔した。

 津川のあたりからガソリンスタンドの休業が目立ってきて、開店しているところはとんでもない行列になっていました。津川なのに郡山やいわき市のナンバーがありました。それはずっと太平洋側に出てもそんな調子で行列の長さは増しているようだった。ガソリンはなんだったら途中で入れれるものなら入れて継ぎ足し継ぎ足ししようと思っていたけど、ぜんぜんそんな調子ではなかったです。準備を怠らなくてよかった。最初に感じた異変でした。

 郡山に入ると自衛隊の車両が目立つようになって、テンションあがりました。かっこいい!力強い存在感!

 郡山の食堂で昼食にしました。おじいさんとおばあさんが営んでいらして、おじいさんはカラオケの名人らしくトロフィーが誇らしくたくさん陳列されていました。マイクタイソンの家かと思いました。焼き魚定職があったので何の魚かたずねると、魚が買えないのでやってないそうでした。気合を入れるために滅多に食べないカツどんを注文した。とてもおいしかった。郡山は倒壊した家屋が全く見えないし、電気もガスも水道も大丈夫なようで新潟と変わらないんじゃないかとちょっと拍子抜けしました。おじいさんに被害は大丈夫でしたか?と質問すると「うちは大丈夫だったけど裏にはつぶれた家がある」とのことでした。そのお店も見事に古ぼけて耐震性には疑問のある店構えだったので意外だった。

 それまで音楽を聴いていたんだけど、食事のあとはラジオ福島で地元の情報を得ることにしました。穏やかな声の男のアナウンサーと女性のアシスタントが話して時折音楽を掛けました。最初に掛かったのがエグザイルでその後はいきものがかりなど、本当に紅白に出場するような人ばかりで、そういったメジャーな人々が深刻な状況の人に与える力をまた実感しました。男のアナウンサーがカナダで聞いているというリスナーのメールを読みあげる際、声を震わせ詰まらせているのでとても驚いた。それまでとても穏やかに話しているのは、感情の高ぶりを抑えに抑えているんじゃないかと思った。ラジオ福島ユーストリームで今世界中で聴けるとの事でした。24時間地震の情報を流しています。

・ラジオ福島ユーストリーム

 会津に入ってもそんなに被害は目立たず、派手な倒壊物件もなかったです。大きなカラオケ屋さんの屋根にそびえる見晴らし台みたいなのが傾いていたんだけど、もしかしたらそういうデザインなのかなと妻に言うと「そんなわけないでしょ」と言われ、よく見ると立ち入り禁止になっておりました。でも通常営業している店もたくさんあって、コンビニではレジが止まっていたけどアイスとコーヒーが普通に買えました。なんでこんな状況で避難所に食べ物がないのかさっぱり理解できませんでした。略奪や強姦が横行している地域すらあるなんて、ガソリンを略奪に来るならず者を撃退するため日本刀を車に積んでいくべきか迷ったくらいだったんだけど、空手で対処することにしていたにも関わらず、アイスとコーヒーおいしいなあ!なんて状況なんですよ。救急車がサイレンを鳴らして10台の行列で走っていくのにすれ違った時は緊張しました。やたらと救急車と消防車とパトカーと自衛隊の車両は目にしました。

 目的の避難所となっている小学校はどんどん険しい山道に入っていって、なるほどこれなら確かに物が不足するのも頷けると納得しました。そしてその避難所となっている小学校に到着しました。時間はもう2時くらいになってしまっておりました。お昼前に着いて支援品を渡して食事する予定が大幅に狂っておりました。

(続く)