古泉智浩の『読書とお知らせ』

マンガ家の古泉智浩です。ココログより引越ししました。

中島みゆきとYMO

 中学生の頃1980年代の前半ですが、オレには1歳上の従兄弟がいて、当時彼は陸上部で部長じゃなかったかもしれないけど、立派に大会に出て活躍して、なお絵も上手でオレなんかより断然上手で、勉強もできて、オレに鳥山あきらやあだち充のマンガを教えてくれて、とまあとてつもなくかっこいい男であった。そんな彼が薦めてくれたのがYMOオフコースだったのだが、そんなかっこいい従兄弟に引け目を常に感じていたので、オレなんか従兄弟のようなかっこいい音楽を聴くレベルに到底無い、オレに似合うのは中島みゆきだと勝手に思い込んで、YMOオフコース鳥山明あだち充などには背中を向けて中島みゆきを好んで聴いていた。

 先日、レンタルでCDが100円の日にYMOのベスト版を借りてみたところ、これがかっこいいのなんの、しっかり聴くのは25年、四半世紀経った今が初めてのことで、もっと薄っぺらいシンセの音を想像していたら、儚く繊細な音の響きにうっとり。走ったり筋トレしながら聴くと楽しくて仕方がありません。

 そもそもなんで中島みゆきを聴いたのかと言うと、当時からひねくれ者でジャイアンツが嫌いなのと同じ感覚でビートたけしオールナイトニッポンより、オレに向いているのはこっちだとよく分からないねじれた思い込みで月曜深夜は熱心にラジオに耳を傾けた。

 先日、中島みゆきオールナイトニッポンの音源をネットで入手して仕事しながら聞いてみたところ、ゲストが谷山浩子で、これがさっぱり面白くない会話が繰り広げられていた。楽しげに話しているが内容があまりなく、今だったらむしろ嫌いになっていると思った。ネタハガキもぬるかった。aikoのオールナイトニッポンに似ていた。

 しかし当時中学生だったオレは、中島みゆきのラジオを聴いてドイツ軍のプラモを作って、中島みゆきのレコードをレンタルしてカセットに入れて、ドイツ兵の下手糞な絵を描いていたのだった。最初に熱心に聴いたアルバムは『寒水魚』で、46分テープに入れたら最後の『歌姫』が途中でブツッと切れていた。それを苦々しく思いながらも何度も聴いた。テープを買うお金も、もう一度レンタルし直すお金も惜しかったのだ。A面2曲目の『傾斜』という老婆が坂道を登っている最中の心象描写のような歌が好きで何度も聴いた記憶がある。

 歌の内容はもてないブス女の愚痴みたいなのばっかりで、コチコチの童貞だったオレが一体どこを理解して聴いていたのか理解できないのだが、でもやっぱりどこか惨めな感じを抱いている点で共感するところがあったのだろう。(童貞と結婚したくてもできない女はどっちも理想が高い点で共通していると最近思った)。自殺をほのめかすような曲や、ひたすら反省している曲、男に対する恨みつらみの曲、夢を諦めた人の曲など、ちゃらちゃらした曲は一切ありません。

 そういう事を思い出したので、当時聴いていたアルバムや、当時聴きたくても手が回らなかったアルバムをごっそりレンタルして聞いてみました。当時ラジオで掛かっていたのは、当時発売になったものと、デビューからその時点までに出ていたもので、1974年から84年までのものをざっくり借りてituneに入れて仕事しながら聴いたのですが、とてもよかったです。心の奥ひだに染み渡るような感覚がありました。80年代の前半まではまだ歌謡曲にシンセサイザーが普及する前で、アコースティックな演奏なもすごくいいです。

 『臨月』というアルバムに収録されている『バス通り』はとてもきれいなメロディで、以前つきあっていた男が仲間と自分の噂話をしているのを物陰で聞いて、あまりに辛くて泣いてしまうという無残で悲しすぎる歌だった。久しぶりに聞いたのに歌えた。他の歌も、付き合いでもしたら、痛い目に会わずにはいられないような女の執念のようなものが多く、うかつにセックスしたら大変なことになると中学生の時にはない解釈もありました。

 割れながら返す返す変な中学生だったなーと思いました。