古泉智浩の『読書とお知らせ』

マンガ家の古泉智浩です。ココログより引越ししました。

普通レベルでは惨めな気分になる社会

 テレビや雑誌などメディアが下に降りてきている分、更にそれ以下の普通という状況だと納得できないというような感覚はないでしょうか。「普通」の定義についてあれこれ考えるとややこしいので、ここは雑に語らせていただきます。

 オレが子供の時は、スターというのは秀樹や百恵ちゃん、ジュリーと本当に雲の上にいる存在で神様みたいなものでした。それがおニャン子から、同級生もしかしたらテレビに出れる!?というような状況になって、今や新潟のクソ田舎でヘルメット被って通学していた久住小春ちゃんがきらりんレボリューションです。

 それはほんの例ですが、スター気分が身近になっているのは事実じゃないですか。夢が身近になった反面、それが実現しない事の弊害もあると思います。

 オレはマンガで普通かそれ以下のレベルの連中を主に描いて、そんな中でも生活に起伏はあるし、個人として充実した面や楽しい思いもあるよねとか、そこそこドラマチックだったりと、そんな意識やメッセージを発しているつもりです。ところが、そんなマンガ家という商売自体、他人様から見ると夢が実現したようなそういう面もあるので、全く心苦しいです。実際問題、オレの希望はもうほとんど全て叶っております。『チェリーボーイズ』を描いて本になった時点で相当達成しました。なんとこのマンガはね、伊集院光さんに帯に推薦のお言葉までいただいたんですよ! 内容も自分が描こうと思った以上のものが描け、描き直したい部分があるとしたら、カウパーのあだなの由来くらいです。カウパーがいつも勃起してズボンにカウパー氏腺液を滲ませていたというのにすればよかったなと反省しています。もし映画になったらこっちを採用して欲しいです。

 脱線しますが、さっぱりマンガがヒットした事もないですが、20代の中盤でマンガ家レース的なもので挫折しており、ずっと12年くらい兼業でマンガを描いていました。だったらということで、もう好きにしか描かないです。実家暮らしなので、あんまり経済を理由に描く必要がないんですよね。今やらせていただいている仕事は全部、マンガ家としてとてもありがたい状況でやらせていただいております。自慢話で恐縮ですが。

 そんなオレがこんな話をするのも気が引けるのですが、思ったんだから仕方がないという事で進めると、テレビなど大メディアに、スターなどに象徴される夢や希望を提示されて、図らずもどんどん欲深くさせられてしまいます。お笑い芸人も随分敷居が低いように錯覚してしまいます。M-1なんて素人でも決勝に残る事ができますもんね。欲が深いと、満たされるのが難しくなります。元々は自分から望んだわけでもないのに、挫折させられるような感覚がないでしょうか。「お兄ちゃんは夢がなくてかわいそう」と渋谷の予備校生が妹に言われて逆上して殺してバラバラにしちゃいました。ひどい世の中ですよ。その妹にしたって夢は、声優か何かでした。

 加藤智大は30秒で12人刺したそうじゃないですか。オレは事件以来、前蹴りからのワンツーというナイフを持った敵へのコンビネーションをトレーニングに組み入れました。回し蹴りは体が回転する分、外れた場合大いに隙ができてしまいます。前蹴りは外れても体の向きは変わらないので、そのまま次の攻撃に移れます。蹴りが外れた場合、俺の場合は強い突きを素早く放ちたいので、右前で構えます。顔面じゃなくても、肩でも胸でも一番近い部分に当てて、敵の体勢を崩すようにします。それで左のクロスを入れられれば圧倒できるかなと思うのですが、加藤のそのあずみのようなナイフの腕前を考えると、勝てるかどうかちょっと自信がありません。加藤を取り押さえた警官もプロテクターを切りつけられたというし、警棒で叩いたりはしたのでしょうか。警察の逮捕術は相当洗練された、技術であると聞いているので一体どういう状況だったのかとても気になります。

 大いに脱線しましたが、加藤もメディアに洗脳されて、無駄に負け意識を植え付けられていた事と思います。加藤はレアケースであるという意見もありますが、オレはそうは思えません。もちろん連続通り魔事件が大量発生するかと言えばそうではないでしょうけど、現実の経済や個人の立場に相当しない、身の丈を超えた不平不満を抱えて苦しんでいる人がとても多いと思います。特に東京にはそんな感情が渦巻いている気がします。そんな皆さんにお薦めしたいのがオレが描いた屁みたいな高校生活を送る男のマンガ『ジンバルロック』です。夢も希望もないですが、等身大の人生もそんなにつまらないわけじゃないですよというマンガです。