古泉智浩の『読書とお知らせ』

マンガ家の古泉智浩です。ココログより引越ししました。

基村くん残念だよ

 今日はにいがた映画塾の水曜日コースに出席しました。オレはこの映画塾初心者講座に毎年通っています。本当に開講しているスタッフの皆さんには迷惑だと思うのですが、他に楽しみが全くないというか、新潟で一番面白いイベントだから仕方がないです。今日はカメラや録音機材、照明の講習でした。オレはこの講習は毎年受けているのですが、絞りだとか、ホワイトバランスとか、何度いくら聞いてもほとんど理解できず、結局オートで撮影します。どう必要なのかが分かっていないのと、映像のクオリティをあまり気にしていないのが原因だと思います。メガネの度が合っていないので、他の人より映像がきちんと見れていないのかもしれません。

 これはマンガに例えれば汚い絵や枠線や吹き出しで、これでどうですかと作品を提示しているようなものなので、本当によくない事です。でもね、オレにも言い分はあって、やっぱり現場っていうのは生ものじゃないですか、スタッフが多いとそれだけ意思の疎通が重要になります。オレはなるべくだったら一人で演出とカメラとマイクをやりたいんですよ。そこで、生な現場でカメラの準備がどうだとあれこれやっていると、勢いが殺がれるじゃないですか。パッパパッパと進みたいんですよ。時間や手間が掛かればそれだけ疲労も蓄積します。なので、オレはできるだけカメラを信頼して、よっぽどみっともないと言われない限りはオートで取り組みたいです。

 オレのは撮影が下手だと言われるのですが、上手な人が撮ったとされる作品の映像も、別にそんなにいいとも思えないんですよね。手前味噌ですが、オレのもそんなに極端に悪いとも思わないです。オレには見る目がないですが、だったら映像作品を見る人も、見る目がある人はごく一部であるような気もします。

 そういうわけで講義の途中から会場の視聴覚室の機材室みたいなところで、スタッフの人と話していました。

 そこにはかれこれ6年の付き合いになる基村君がいて、彼は何か様子がちょっと変わっていると以前から思っていたのですが、今年の講座でドキュメンタリーの作品を見たら、そこで取材されていた鬱病の人が基村くんとすごく似ていたのでビックリしました。固まったような感情のない表情でよく基村くんも佇んでいます。鬱病だったのか?

 そんな彼が今日はちょっと元気で会話ができました。〜マンというヨーロッパの映画監督がいて、どうやら彼はその人の作品が好きだと言うのです。へえ、どんなところが好きなの?と聞くと「作品を面白く見せようとしている」と答えました。なるほど、でも劇映画ならそれは普通のことなので、そのどんなところに魅力を感じているの?と尋ねると、何やら答えに困っています。どんな映画なの?と聞くと、全く何も答えてくれなくなって、時代は?場所は?どんな人が出ているの?映像はきれいなの?と立て続けに聞いてみました。

 どこかその監督の母国のヨーロッパの国が舞台で、古い映画なので当時としては現代の1960年代で、病気の女が主人公、映像はきれいという事が分かりました。女は病気で死ぬの?と聞くと分からないそうでした。そこは物語上重要ではないのかもしれません。なんとなくですが、芸術系の作品で映像がきれいでまったりした映画なのかなとオレは解釈しました。

 すると基村くんは答えられなかったのが悔しかったのかオレに「古泉さんの一番好きな映画はなんですか?」と聞いて来ました。『ロボコップ』と答えると、どんなところが?と聞いたので「えーっとね」と言った途端「ほら、答えられないでしょ」と秒殺して来るのです。勝ち誇っているようでイラっとしました。

 「はー?オレがお前にどれくらい時間与えたと思ってんだよ、今のこの時間で答えられない事で、映画の魅力を語るのは難しいだろ、一緒だろ風を吹かせんじゃねえよ」と怒鳴ってしまいました。そこで、アクションが面白いとか、ロボコップの動きがいいとか、悪者が一件サラリーマンみたいなのに凄く悪い奴でコブラ砲を撃つとか、爆発があるとか説明しました。こうして並べると全くうまい説明になってないのがとても悲しいところです。すると基村くんは「爆発のある映画なら他にいろいろあるじゃないですか、『ロボコップ』はどこが違うんですか?」と質問してきました。

 残念な事に、基村くんは『ロボコップ』の魅力を伝えて欲しいわけではなく、オレが質問をして、上手に答えられなかったところが見たかったのでした。揚げ足を取るのを目的で質問をしているのでした。真面目に答えようとしてとても残念でした。

 そんな基村くんは、以前に8ミリで『主食兎』という45分もの自主映画としては大作映画を作りコンテストに応募して落選したそうです。オレも過去に何度となく10回以上はコンテストに応募しては落選しています。『主食兎』は何回コンテストに出したの?と聞くと「黒澤清のコンテストに出しました」と答えたので、何回コンテストに出したの?とまた質問しました。するとまた回数とは別の答えをして、結局5回、何回コンテストに出したの?と聞いてやっと「3回か4回」と答えてもらえました。ここまで来ると、なぜこの人は回数を聞いているのに別の答えをするのかという余計な疑念が生じて心が余計にモヤモヤします。

・質問にストレートに答えるのはダサい
・回数を言うのは嫌だ
・回数を忘れてしまった
・古泉の質問にまともに答えたくない
・古泉が嫌いだ

 「古泉の質問に答えたくない」「古泉が嫌いだ」が答えなら、安心していいよ、もう話しかけないから。