古泉智浩の『読書とお知らせ』

マンガ家の古泉智浩です。ココログより引越ししました。

もし兄弟がいたら

 どうにも団体行動が嫌いで、本当に大嫌いです。その反面、人が集まってわいわい楽しそうにしているのを見ると羨ましく感じます。そして、そんな楽しそうな雰囲気の団体に加わって楽しいかと言うと全く楽しくないです。むしろ余計に孤独です。楽しかった事なんてほとんど記憶にないです。団体の中で個々の人々とじっくり話し込んだりふざけたり、からかって楽しい気分になることはありますが、どうなのでしょう。夏祭りが今から嫌で仕方がありません。特に一番嫌いなのが、飲み会が終わって2次会どうする?なんて言って居酒屋の前でだらだら突っ立って立ち話している時です。決まらないんだったらいいやと思って大抵帰ります。ここで粘っていい感じで振舞えるとセックスできたりするんですか?そうなんですか?

 用事がないと人とほとんど会わないです。一緒に映画見るとかそういう遊びでもいいのですが、暇だからお茶でもしようなんていう場面がないです。改めたいんですよ。人生も折り返し時点を過ぎ、これからは常に死を覚悟してどんな人とも触れ合っていつ会えなくなるかもしれないじゃないですか、そんな欠けがいのない一瞬を大切にしたい。ウソですが。

 そんなオレの協調性のなさ、こらえ性のなさ、良くない部分は兄弟がいないせい、つまり一人っ子が原因なのではないかと思いました。

 傍若無人だと思われがちですが、むしろ気を使う方だと思うんですよね。けっこう気を使います。まず優しくしようと心がけますし、つまらない思いをしていたらどうしようとビクビクします。それで上手い事話して受けたら嬉しいです。なるべく面白い話をしようと思います。マンガ家ですが、一応物語り作家の端くれとしてプロ根性ですか。そんな事をやっていると疲れて嫌になって早く一人になりたくなります。他人といくらでも一緒に居て平気とか、一人では食事ができないなんていう人の方がむしろ、気疲れしない分他人に負担を掛けているのではないかと思います。

 そんな事はどうでもいいのですが、本当に申し訳ないことがあります。大学くらいが最後でしたが、ずっと親しくして付き合いしていた友達を突然嫌いになって避けるようになる事が度々ありました。嫌いというか鬱陶しく思うようになって、疎遠にするんですよ。嫌いになっていると思っていたのですが、相手にはなんの落ち度もありません。何回か繰り返して冷静に現象を考えるとオレの理不尽さに尽きます。こんな失礼な話はないですよ。大学は人間関係が流動的なので、完全に連絡を絶つような事をしなくてもちょっとずつあんまり失礼じゃない形で距離を置く事ができるじゃないですか。意識的に失礼じゃないように心がける方針を採用して現在に至ります。失礼してしまった人にはお中元か何か贈って謝りたいです。

 最近はそんなにべったり誰かと付き合うわけではないので、そんな現象もないですが、その分用事がないと誰とも関わりがないです。例えば自主映画を作るにしても、出てもらって撮影が終わって軽く打ち上げしたら、当分それっきりという焼畑農法のような関係を続けており、人として問題です。行きつけの店も蔦屋とビデオ1しかないです。良いように考えると、距離を置いた付き合いしかないので、その分長続きしている側面はあるかもしれないです。

 『対人関係能力が乏しく社会性・積極性に欠ける、精神的に甘く自己中心的、など「一人っ子であることは、それだけで一つの病気である。」(スタンレー・ホール、1898年)』という恐ろしい言葉もありますが、身に覚えがあり深刻です。もし兄弟がいたら、こんなじゃなかったのかなと、気安く人と接して楽しい団体行動を営めるのかと思いました。

 こんな事を言っているとますます誰からも相手にされなくなるので、ここだけの話にしておいて下さい!!