古泉智浩の『読書とお知らせ』

マンガ家の古泉智浩です。ココログより引越ししました。

枡野さんとトークイベントをしました

 もう先週のできごとになってしまうのですが、歌人の枡野浩一さんと阿佐ヶ谷よるのひるねで、トークイベントを開催しました。「セックスと子供と女と男」というテーマでした。これまで、枡野さんは非常に正直な人で、文章でお書きになっていらっしゃるような、そのままの人であろうと感じていました。枡野さんがファンの人と一緒にお酒を飲んだりすると、「そんな人とは思わなかった」とすごく嫌われてしまうと枡野さんがおっしゃっておりましたが、オレはそんな感じは全くしなくて、本当に本を読んでいるのかといぶかしく思いました。イベントでは枡野さんは文章と行動が一致している方だと言ったのですが、それは間違いではないと思うのです。でも表に出ていない情報があるので誤解もあると思いました。

 枡野さんも小説やコラムで商売をしていらっしゃるので、オレがここで好き勝手に枡野さんの情報を漏らしてしまうと、商売の邪魔になってしまうこともあります。なので、うすらぼんやりと書かせていただこうと思います。

 「3Pが理想」「エグザイルの下っ端プレイがしたい」というご発言も軽い冗談だと受け止めていたのですが、後々話を聞いていると真剣に希求されている事が分かって魂消ました。二丁目に通っているという話も、普通の飲み屋に行くより面白いからという理由なのかと思っていたら、パートナーを求めていらっしゃいました。草食系で性欲があまりないからそんな冗談を言って、言葉と戯れるのがお上手だなあと思っていたらそうではないのでした。むしろ、人並みに性欲を抱えていらっしゃっていて、その解消のためにそんなややこしい事をご希望されているわけなのに、その苦悩は深刻です。

 オレは適当な機会があったらいつでもセックスがしたいと願っているだけなのに、その希望は滅多にかないません。「刺青とタバコが嫌」という条件が厳しすぎるせいかと思っていたのですが、枡野さんには理想があってそれを実現したいと切に願っていて、それは相当に困難です。

 枡野さんは芸術家だなあと本当に感服したわけです。五七五七七という極めて限定された条件でベストの選択肢を選び抜かなければならない、そんな芸の道で勝負されているというのも理由ではないでしょうか。ギリギリと研ぎ澄ますような表現です。関係ないでしょうか。それに比べるとオレなんて、適当にありもので済まそうという姿勢なのに滅多に希望も適わない、まるで間抜けだかとガッカリするのですが、希望の真剣度が足りないのかとも思いました。むしろオレの方が草食系ではないでしょうか。 マンガにしてもそうで、1話あたり140コマくらい描かないといけないとなると、1コマ1コマ真面目に描いていたら持たないわけです。オレはそんな商売なので、こんな適当なんだと思います。マンガ家がみんな適当かと言えば全くそういうわけではないですよ。古屋兎丸さんなんて、どのコマも無神経さが微塵もないです。大変なことですよ。

 僕はなるべく言葉に裏表をなくして、受け取り方もそうしようと努めていて、それは法律問題を経験したことも大きな理由で、枡野さんも言葉に裏表がない人で、そういう意味で似た部分がとてもあるのですが、丸っきり違うところが明確になってとても面白かったです。 法律の問題を経験すると特に言葉の裏やニュアンスなんて全く意に介してもらえない状況で、ひどく驚いたわけです。でも枡野さんは詩や文芸をやっていらっしゃるのに、裏表があまりないのは一体なぜなのか、不思議な感じもします。安っぽい裏表より表の言葉でも驚くような表現があるとか、そういう事でしょうか。オレは、最近までRCサクセションの『雨上がりの夜空に』で、バイクが女のメタファーであることに全く気づいていなかったくらいの鈍い感性なのです。

 以前、枡野さんに子供なんて他にたくさん作って執着をなくした方がいいですよと提案したことがありました。僕は本当にそう思っているのですが、枡野さんには好きな子がいて他に目を向けたいなんていう気持ちは全くなかったんだなあと思いました。失礼な提案をしてしまい申し訳なく思いました。理想を追求する姿勢は芸術家としてとても重要です。オレは理想や執着をどんどんなくして楽になりたい、楽しくやりたいとそんな事しか考えていません。枡野さんは大変困難な道を歩んでおられますが、そういう人こそが素晴らしい作品を産み落とすのであると思うのです。