古泉智浩の『読書とお知らせ』

マンガ家の古泉智浩です。ココログより引越ししました。

個人主義は虚しいよ

 Buono!の『ロッタラロッタラ』という歌がとても好きなんです。この歌で「幸せになるため生まれ、そして誰かを幸せにするために生きていくんだ」という歌詞があり、深く胸に染みるんです。恥ずかしいですが、全くそうだと思うんです。岩里悠里さんの作詞です。古泉も年をとってすっかりぬるい人間になってしまったかと思われるかもしれないですし、残念ですがその通りです。

 マンガ家のじぇんじぇんと食事をしていて、子供を持たず自分の楽しみで生きていく個人主義は虚しいよと話したら、それのどこが悪いのかと言われました。木の幹があって枝があってその先端にオレがいるわけで、親や土地やお墓や仏壇なんかに対して尊重する気持ちが強いんだと話すと、それだって個人主義ではないかと言われ、それに対してオレは丸っきり反論の言葉がなかったわけです。確かにそんなのは法律で規定されたものでもないし、迷信みたいなものでもあるし、オレは霊の存在を心底信じているのですがじぇんじぇんは全く信じていない男です。好き勝手にやっているように見えるかもしれないけど、俺だってけっこう我慢してるんだよと控えめに言い返すに留まるしかなかったです。ダサい。

 ずっと、新潟に戻って結婚に失敗して投げやりになって、商売の手伝いも放棄してマンガを勝手に描いていこうとやってました。お陰でマンガは順調に仕事させていただいていて、実家暮らしなので貯金がみるみる増えました。車買ったら次に使うあてがないですからね。空手も始めて肉体もどんどん強化されていきました。金があって体も丈夫だとゆとりが出てきて、それで自分の好き勝手に生きているというのが、なんだか虚しくてやりきれないような気持ちも生じて来ました。普通だったらそこで愛する女性を見つけて、その女を大事にするという気持ちになればいいように思うのですが、オレは女性に対してリベラルなので、そんな一人前に人権もあるような大人の女なんか自分で頑張ってやっていけばいいではないかとしか思えないのです。でも子供は違います。子供は本当に面倒みてあげないとダメじゃないですか。ほったらかしたら死んでしまいますからね。それで子供が欲しいと強く望むようになりました。オレは幸せにはもうなったから、子供を幸せにするために生きていきたい!と思っております。実際自分で子供を育てたこともないので、現実はとても厳しいかもしれないですが、現在の気持ちはそうなのです。できれば鈴木愛理ちゃんみたいな女の子のお父さんになりたい!!と思っていましたが、最近は里子でもいい、なんなら五体不満足な子でもいい、自分の子ならなついてくれなくてもいいくらいな気持ちにすらなっています。

 それだって、オレが自分で自分の幸福のために子供を幸せにしたいと思っているだけの個人主義だという批判が成立します。オレも前はそんなふうな考えてあったこともあり、当時のオレに対してもきちんと今の考えを言葉で説明して説得できるかと言えば、何にも思いつきません。でもね、本当にその自分が好きにマンガ描いて、時折親切な女性がセックスさせてくれて、後はなんか読書して映画見て遊んで暮らすなんてのに対しての、虚しさは実感としてあって、そういうのが虚しいと言う事に意味がないわけではないと思うんですよ。個人主義という言葉でくくる事に問題があるのかもしれないです。

 だから、Buono!の『ロッタラロッタラ』に耳を傾けて欲しいのです。それか、誰かもっと頭のいい人にうまいこと言える言葉を教えていただきたいのです。

 そんなじぇんじぇんですが、ちょっと前まではマンガ家廃業宣言をしていたのに、今はラブホマンガ家として夕刊フジで『ラブホ戦記』という連載で毎週水曜日誌面を飾るという快挙を成し遂げております。ぜひとも皆さんご覧ください! もう10年以上じぇんじぇんはラブホで働いていて、その体験をコラムとイラストで紹介しています。とても面白いですよ!


 じぇんじぇんが97年に出版した『映画にゴメンね』です。当時は友達が本を出す快挙に胸が震えました。『ラブホ戦記』での復活に賭けろ!じぇんじぇん!!