古泉智浩の『読書とお知らせ』

マンガ家の古泉智浩です。ココログより引越ししました。

死後の世界

 霊の存在は完全に信じているので、論争などでは必ずバカだと思われて負けますが、でもやっぱりズルすると罰が当たると思うので、最近はめっきり法律も破りません。麻薬もしません。言葉で人を傷つけることはよくあるけど、わざとじゃないんです。多分一人っ子のせいだと思います。お彼岸にはお墓参りもします。

 そんなオレはよく霊ってどんなものだろうと考えています。マンガや映画では、霊感のある人があたかもそこに人が実在しているかのように、霊と会話しますが、それはないんじゃないでしょうか。たとえば変死した場合、『シックスセンス』みたいに、死んだ場面を延々と回想しているような感じが本当っぽいなと思います。本当って、霊なんて本当もクソもないだろうと、頭から存在を否定する人はどうぞ無視してください。本当に与太話です。会話をするには、脳が必要だと思うんですよ。脳での言語や記憶がないと論理的な会話は成立しないと思うんですよ。

 先日夢をみました。こんな夢です。オレは猫を飼っていて、知人の大事な猫を預かって飼っていて、現実のオレは猫アレルギーなので飼えないけど夢では平気だったので、まあうれしいなと可愛がっていたわけです。ところが知人が死んでしまったかいなくなってしまい、その上猫もオレにはぜんぜんなつかなくて、そのうちどこかに行って帰って来なくなりました。そのことが知人に対して実に申し訳ない、猫も元気にしてるのか心配だし本当にごめんねという気持ちでいっぱいになっている夢でした。

 死んだらこんな感じじゃないかと思いました。論理的な思考はなくて、感覚とか観念とか感情だけを抱えている存在が霊だと思うのが自然かなと思いました。強い執着や無念を抱えていると成仏できないというのもそういうことかと思います。ゾンビもそんな感じだと思います。脳がほとんど止まってますからね。

 あと、動物を擬人化する表現があるじゃないですか。動物の内面が人間のように論理的に語られる場面をよく目にしますが、それもちょっと違うと思うんですよ。言語がないので、人間と同じような思考をするのは不可能だと思います。犬は犬、猫は猫なりの身体があって、泣き声があるので、そういった感情を持つと思うんですよね。大島弓子さんは、猫を人間の姿で描くのですが、思考を人間みたいに表現せず、猫独特の寡黙さを表現されます。そんなところが、大島さんは猫の立場にきちんと立って描いていらっしゃってさすがだなと思います。

 とは言え、オレには霊感がこれっぽっちもないので、霊の存在を信じている根拠もまるでありません。