古泉智浩の『読書とお知らせ』

マンガ家の古泉智浩です。ココログより引越ししました。

新刊『1984スイートメモリーズ』

 2月に『フェイク』が出たばかりだと言うのにまた本を出すなんて読者の皆様の財布に厳しいマンガ家と言われかねない勢いで非常に恐縮なのですが、それというのもどっちのマンガもちょうど去年の同じ時期に連載が終わっていろいろしていたらこのくらいになってしまったんですよ。なので決してわざとじゃないんです。

 この『1984スイートメモリーズ』はマガジンバンというエロ雑誌で隔月で6ページの連載で途中から月刊連載になって、また隔月にもどってと、1984年から1989年の昭和の終わりまでが舞台のエロマンガです。主に参照した資料の一番大きなものはマガジンバンと同じサン出版でちょうど84年に創刊された投稿写真です。バックナンバーを最初はサン出版にお借りして、途中で返却して、ヤフオクで出品されていた大量のセットを購入しました。また、当時大はまりしていた日活ロマンポルノの後期作品や角川のアイドル映画もとても見て大いに参考にしました。

 オレも高校、予備校、大学くらいなので記憶が割りとしっかりあるんですよ。当時の情景をなるべく美化せずに描いているのでノスタルジックないい感じはあんまりないかもしれません。


 なんと同じ発売日に杉作J太郎さんがアックスで連載しているコラム「ふんどしのはらわた」の単行本『杉作J太郎が考えたこと』と、タイム涼介さんの映画にもなった『アベックパンチ』の3巻も発売となります!

 単行本のあとがきで、これと別なのが単行本に収録されていて、こっちはボツにした方で作品解説をまじめに書いたのでぜひお読みください!



作品解説

 『1984人妻・由美子34歳』という6ページマンガは、「80年代を舞台にした34歳人妻のマンガを描いて欲しい」という依頼の元で描き始めた。依頼主は『投稿写真』『トップスピード』の堀川編集長で、それらの雑誌を信仰に近いくらい愛読していたので、一も二もなく引き受けさせていただいた。正直なところ、人妻で34歳で80年代って、厄介な縛りがきついし、どう自分のフィールドに引き込んだらいいのか不安なスタートであった。それがまさか24回にも及ぶ連載になるとは思いもよらず、本当にどうもありがとうございました。隔月連載で始まって一時は月刊連載に昇格したのに、他の長編連載にびびって隔月に戻したいという勝手をきいていただき、本来ならそんな失礼な態度では打ち切られても仕方が無いのにその後も継続して使っていただいた。

 この連載でもっとも活用した資料が若き日の堀川編集長が手がけた80年代の『投稿写真』のバックナンバーであった。サン出版から大量にお借りしたのだが、いつまでも借りっぱなしでいるわけにいかず、返却した後はヤフーオークションで少々高値だったけどまとめて買うことができた。繰り返しおにゃんこクラブのネタが多くなっているのもそのせいで、誌面ではおにゃんこの勢いの凄まじさが迸っていた。連載中にはのりピーがシャブで逮捕され、三浦和義がサイパンで逮捕されたと思ったらロサンゼルスで死亡し、村上春樹はベストセラーを出し、現在が80年代からの地続きであることが実感させられた。

 『投稿写真』がいかに楽しく偉大な雑誌であったか、当時も今もそんなに語られる機会もないんだけど、この雑誌がなかったらGON!もBUBKAも存在しなかったはずなのだ。創刊当初のBUBKAは投稿写真のパクり記事ばっかりだった事実をここで記しておきたい。アイドルの卒業アルバムを載せたりするのも投稿写真でやっていたことだった。創刊当初のBUBKAは当時ブームだった悪趣味や鬼畜という側面が強調されたダークな雰囲気が苦手で、同じ切り口でも投稿写真の楽しげな雰囲気がよかった。投稿写真がトップスピードになって休刊した後、改めてBUBKAに引き継がれた、アイドル偏差値ランキングやアイドル年収ランキングなどの企画もあった。芸能人が経営する飲食店レポートなども投稿写真が最初だったのではないだろうか。オレが特に好きだったのは「お便り宅急ペン」というエロ体験レポートの投稿コーナーで、エロい文章で股間をギンギンに高めて、いざグラビアページをめくりオナニーをするというのが至上の喜びであった。石丸元章さん、吉田豪さん、堀越日出郎さん、石川キンテツさん、綺羅星の如きスターライターを知ったのも投稿写真だった。部活のエロ話のうまい先輩のような憧れの存在だった。

 出版事情が悪化の一途をたどっている現在、面白い読み物があるエロ雑誌が次々休刊してしまっている。売れているエロ雑誌が熟女ものばかりになってしまい、今の童貞たちに楽しいエロ雑誌を教える事ができずとても残念だ。オレがお世話になっていた『ホイップ』『DVDマジッ!』も続けざまに休刊してしまった。
マンガ家としての出世が遅れて投稿写真にもトップスピードにも間に合わなかったのだが、憧れのサン出版では『ウォーA組』で初めてお仕事をいただき、その後堀川編集長の『マガジン・バン』でこうしてお仕事をさせていただくことができ、真に幸福で光栄なことである。

 80年代は中学、高校、予備校、大学と、学生として一切セックスのせず童貞のまま過ごしたのだが、振り返って思春期にはきつい時代だったと思う。果たして自分の実感がどこまで真実か正確に測る事は難しいとしても、パンタロンがボンタンになって、もみ上げがテクノカットになる時期の切り替わりには昨日白かったものが今日黒くなったようなパッキリとした断絶があったような感覚がある。昨日まで普通だったのが、今日はダサくてみっともなくて一秒も耐えられないような凄まじい変化の記憶がある。今、大人で流行に鈍感になっているからという事情を加味しても、今ほど多様な価値観がなかったと思う。しかもそれが特に80年代後半は恐らく人類の歴史上もっともダサい時期への変化だった。特に音楽はシンセサイザーが一般化したせいで、安易に使われるようになった。それまのかっこいいホーンセクションであったところがペナペナのシンセサウンドになって今聴いても本当にダサい。とにかく思春期に80年代はきつい。人類そのものが最もダサい時期に、人間が一番ダサい思春期がかぶっているので他の世代より黒歴史の黒さ度合いが一層濃くなってしまった。80年代を童貞で過ごし、家で大人しくオナニーをして過ごしていたためまだ大怪我せずに済んだと思いたい。