古泉智浩の『読書とお知らせ』

マンガ家の古泉智浩です。ココログより引越ししました。

東京でいろいろな方とお会いした 2

 すっかり記憶が定かでなくなって来ているのですが、6日の記事の続きです。もう続きがどうとかどうでも良くなって来ていて、本当にいい加減で申し訳ありません。

 そうは言っても文化庁メディア芸術祭推薦作品『鈴木先生』の作者である武富健治さんとお会いした事は記さないわけにはいきません。

 中野で、なぜかモーニングの編集さんのセッティングで韓国料理をご馳走になりながら武富さんとお会いしました。印象としては実に上品で物腰がやわらかく丁寧でありながらも、土足で踏み込む事をきっぱりと拒絶されるような京都みたいな感じの方でした。鈴木先生に印象がダブりました。年齢はオレの一個下で、これまで随分とご苦労されていらしていて、現在も『鈴木先生』のネームを身を削って描いていらっしゃっているそうで、ストレスで出るというアトピーが肌に現れていて苦しそうでした。『ライフ・イズ・デッド』をお読みいただいて、主人公がストレスで具合が悪くなるというのが人事でないとおっしゃっており、詫びるべきなのかどう返事をしていいのか困りました。身も心も繊細そうな方でいらっしゃいました。当ブログもお読みいただいているそうです。
 まだ発売前の著者分で『掃除当番』という短編集を図々しくも頂戴してしまいました。胡蝶社から出ていたのはタコシェで何冊か買っていてそっちで読んだのもありました。『鈴木先生』とは違った角度の、生徒からの目線の学園マンガが多数収録されています。まさしく文芸漫画と言うにふさわしい、一般の娯楽作品ではこぼれ落ちるような心のひだを繊細になぞるような作品ばかりです。

 上から言うようで非常に申し訳ないのですが、『鈴木先生』の大ヒットで、こうして埋もれていた作品が陽のあたる場所に出る事ができて本当によかった。オレは『鈴木先生』は売れるにしても、ヤンキー先生夜回り先生の本みたいに教育本のような形で注目を集めて売れるのではないかと思っていたのですが、普通に面白いマンガとして読まれているのですごくよかった。『掃除当番』も一般的にはヒットするイメージからかけ離れた種類のマンガですが、これもまたドカンと行くかもしれないし、そうなったら素晴らしいです。

 オレは、声にならない声は無視していいというか、そんなの拾っていたら切りがないだろうと考えているところが大いにあり、また自分に対しても細かいことを気にしていたら身が持たないし何より面倒くさいので、元から雑な人間ですが更に意識的にそうあろうとしています。時折不具合を起こしながらも、それで自分なりにはそこそこやって来れているように思います。ところがそれに対して武富さんは声にならない声に耳を傾け、更に耳を澄まし、更に耳を当ててぬくもりと本質を確かめるようにして、そこでの発見から物語をつむいでいくような感があり、それは本当に尊いことです。邪推をすると、そういった細やかな事が目についてしまい、そうやって気にしてしまうと追求せずにはいられなくなるのではないでしょうか。それこそ身を削るような作業だと思うのですが、これからも安易という言葉を全く寄せ付けないすごい作品を生み出してくださる事でしょう。