古泉智浩の『読書とお知らせ』

マンガ家の古泉智浩です。ココログより引越ししました。

感性と論理

 どうも20代とか、若い時にマンガが全くうまくいかなかったので、自分の感性は通用しないという意識があります。それで、どうすればいいのかとあれこれ試行錯誤して考えてその結果30歳を前後してどうにか単行本を出させていただいて、ヒットとまではいかないまでも生活できるレベルになりました。感性と論理と対立するものでもないかもしれないですし、非常に大雑把で申し訳ないのですが、大つかみで語りたいと思います。

 もうかれこれ15年かそれくらいマンガを描いてお話や物語を作ってきているんですよ。そうするとそっちの方向に人間的に特化してくると思うんです。例えば、ずっと長編の何十冊にもなる連載をしている作家さんいるじゃないですか、1話完結じゃなくて連続もので、そういう人がたまに読みきりで20ページくらいの作品を描くとなんかこう、薄いと言うか「これだけ〜」みたいな軽い内容で終わっている作品をよく目にします。そういうのって、長編のリズムが身に付いてしまって、完結にぎゅっとした読みきりに合わなくなってくるんだと思います。

 オレはけっこうずっと読みきりで仕事をして来てまして、きついんですけど、腕が試されている感じがして好きなんですよ。一発勝負みたいな感じもいいです。長編も長編で金になるし、オレの長編なんてたかだか1冊分なので大した事ないですが、4コマや2ページマンガ、6ページマンガと今非常に手広くやらせていただいて、バランス的にありがたいです。短い方が感性に寄るように思います。20枚は感性や勢いだけではオレの場合、厳しいです。

 けっこう細かく整合性を気にする方なんですよ。だからオレの作る話は小さくてスケール感に乏しいような気がします。もっと感性に針を振って爆発的な何かすごいのやらかしてみたいようにも思うんですが、若い時にうまくいかなかったせいでダメなんだと思います。人間的にも常識的過ぎるからダメなんだと思います。芸術的な感覚には本当に自信が全然ないです。非常識な人間に憧れますが、根が商売人なので背伸びしてもしょうがないですもんね。とはいえ、こんな事を言いながらも入り組んだ事を考えるのはとても苦手です。

 それで、どっちかというと論理の方に特化してきていると思うんですよ。そのせいか、絵とか音楽に対する能力もモチベーションも下がる気がするんですよね。音楽なんて元からオレが気づいていなかっただけで音痴だったんですけどね。昔は油絵を描いていたんですけど、絵も興味がさっぱりなくなってしまいました。結局のところ、よくできたお話が好きなんですよね。オレの作った話がよくできているとかそういう話じゃないですよ。出来の良し悪しはさておき好みの問題です。ミュージシャンが映画を作ってもあんまり面白くない場合があるじゃないですか、感性に寄りすぎているせいだと思うんですよ。

 若くしてマンガ家や作家として活躍する人はそういう感性が求められて、その感性でうまく対応する事ができた人ですよね。オレは最近は実体験をベースに取材で肉付けしてちょっと空想で膨らませてと、ある程度経験していたり身近な事柄だったり、実感が伴わないとあんまり描けなくなってます。20代の時にマンガが売れなくて、フリーペーパー作ったりバンドやったり麻雀したりして遊んでいたり、勤めていたりした事が今になってよかったんじゃないかなと思います。今度時間ができたらまたどこかバイトに行きたいんですけど、年なので雇ってもらいづらいから困ります。
 
 いつにも増してとりとめのない話で済みません。思っちゃったんだからしょうがないと言う事で。