古泉智浩の『読書とお知らせ』

マンガ家の古泉智浩です。ココログより引越ししました。

17年のオレです

 竹熊健太郎さんのブログを毎回楽しみに拝見しているのですが、マンガ家についての記事が載っていました。

・「担当がつきました」とはどういうことか(たけくまメモ)

 新人マンガ家が雑誌に投稿したり持込すると担当編集者が着いて、それで大喜びしている、でもそれはほんのスタート地点に立っただけで大変なのはこれからなのだと叱咤激励して下さっています。その記事で「マンガ家は、10年続いて一人前、20年続けば天才、30年やってる人はバケモノだ」と、とある編集者の言葉が引用されていました。先日、山田花子さんの資料を調べていたら、お亡くなりになったのは1992年の5月で、オレが初めてマンガが掲載されたのもその年の12月でした。なので、93年だと思っていたら92年で、オレのマンガ家生活は今年で17年目だったのでした。

 でも、この10年続いて1人前という話は、新人賞かなにかでデビューして、その後連載作家になって、単行本出してそれが継続しているというケースが想定されての話だと思うのです。オレはずっと他の仕事したり失業保険もらったり、実家の手伝いしながらやっていたので、あんまり当てはまらないのではないかと思いました。そのケースに当てはまるのは、すぎむらしんいちさんや山本英夫さんや小林まことさんやの場合です。他にも大勢いらっしゃいますが、なんとなく思いついたので。
 

 ここ4〜5年なんですよね、マンガで所得を得てマンガ家として生活しているのは。それまで、本当に100万円にも満たないくらいしか稼ぎがなくて、きちんとしたまとまったページで月刊連載をいただいたのはサン出版の『ウォーA組』が最初です。12ページの連載で、とても嬉しかったです。これで暮らせるんだと思いました。それまで本は出させていただいていたのですが、隔月連載だったり、原稿料がなかったり、短編集だったりと岡田斗司夫さんの言うプチクリプチクリエイター)です。人に名乗るのも後ろめたいところでした。単行本が出てもせいぜい30万円くらいでしたもんね。増刷になるとまたお金がもらえるのですが、滅多にありません。そもそも本が出せたのも2000年でした。普通ならとっくに廃業してると思いますが、辞めようと思った事は一度もありませんでした。

 マンガが映画になっても●十五万円しかもらえず大変ショックでした。映画と言っても総予算から原稿使用料が算出されるので、あんまりお金の掛かっていない映画の場合は大した事ないのです。オレが趣味としている高級外車が何台も買えるかと思ってわくわくしていたら原付かよ!と思って魂消ました。DVDの印税も未だに頂戴しておりません。きっと映画もあんまり流行らなくて、それはオレにも原因があるので悪かったなと思います。儲かっていたら向こうだって大喜びで即、払ってくれるはずで、目論見が外れてお金にならなかったんだと思います。なので「金くれ」とはあんまり言えないです。儲かっていたら「どうも!どうも!」なんて言ってごっそり頂戴しますよ。そのうちなにかのきっかけで爆発的にDVDが売れたらもらえるんだと思って待っております! プロデューサーさんは自宅を抵当に入れてまで、映画を作ってくださっていました。そしてとうとう野孤禅も解散してしまいました。素晴らしいエンディング曲『ならば友よ』を提供していただいたのに、力になれず申し訳なかったです。素晴らしい映画を作っていただいて本当に感謝しております。

・映画のシーンを使ったPVバージョン

 野孤禅は活動をやめてしまいましたが、竹原ピストルさんは引退したわけでもなんでもないので、竹原さんの素晴らしい歌を聞きにライブハウスに行きましょう。

 話は戻りますが、オレの計算はどうしたらいいのかと思うわけです。デビューして早速連載して本を出して連載が終わってまた連載して本を何冊も出して、というそれこそ本当の天才の10年とは全く違うのです。この調子で30年続いても別にバケモノでもないだろうし、それは実家暮らしで田舎暮らしという要因が大きくもたらす結果だと思います。経済の問題が大きくのしかかってマンガ家としてやっていくのが困難な場合があると思うんです。東京は本当にお金がないと惨めでやりきれない場所だとしか思えないんです(あくまでオレの場合ですよ、その代わり自由と刺激があります)。家賃が本当に厄介で、家賃分貯金できていたら今頃大金が残っていたって言う人もたくさんいるんじゃないでしょうか。大抵の人はそうですか。お金がないのは本当につらい。「ここに100円があったはずなのに!ない!さては妖怪の仕業か!? あったー!!!よかった〜妖怪じゃなくてよかった〜」なんてね、そんな事でマンガ描く時間がなくなったりしていたら本当に残念です。オレはアシスタントをやったことがほとんどないのですが、人の原稿描いて商売していたら自分の原稿なんて描く気が失せるんじゃないかと思っていたんです。だってね、自分の原稿だって面倒なのに、人の原稿なんか余計に嫌じゃないですか。もちろんヘタクソすぎて誰も雇わないですけどね、オレなんか。

 単に担当がついただけで喜んでいてはいけない、竹熊さんはそうおっしゃるのですが、オレも担当がついた時は本当に嬉しかったです。目の前にまっすぐの2車線道路がパーッとどこまでの伸びているような気分がしました。太陽もサンサンと輝いていました。その後、それが単なる錯覚で竹熊さんがおっしゃる通り、その道が大変なガタガタ道で、細く先も見えずうねっている事に気づきました。天気も風雪がたいへん厳しかったです。幸いオレの場合は今のところ途切れずに続いています。代原でマンガが掲載されるのも飛び上がるほど嬉しかったんですよね。

 そうは言ってもオレなんかいい方で、途中でいなくなってしまった人何人もいます。知っているマンガ家や意識しているマンガ家で死んでしまった人もいます。一時爆発的に評判になって、売れていた人でもいなくなる人います。やめてしまったらおしまいです。細々でいいので、1秒でも長くこの場所にいさせてください、神様。そして読者の皆さん、編集の皆さん、印刷所の皆さん、デザイナーの井上さん、書店の皆さん、よるひるの門田さん、流通に携わる皆さん、マンガ家の仲間の皆さん、画材を扱う人、フォトショップを開発してくださった方、エプソンのスキャナーを作った人、ワコムの人、マクロソフトの人、心底感謝申し上げます。