古泉智浩の『読書とお知らせ』

マンガ家の古泉智浩です。ココログより引越ししました。

ちょっと南相馬市に行ってきた3

 「こんなに支援品を届けてくださるなんて!困っていましたありがとうございます!せめてお名前だけでも教えていただけませんか?」
 「当然の事をしたまでです。名乗るほどの者ではございません」
 「そんな事いわず、ぜひ!」
 「そうですか、そこまでおっしゃるなら、マンガ家の古泉智浩です!最新刊『FAKE』青林工藝舎より発売中!!」

 なんだったら震災孤児のかわいい赤ちゃんでも引き取って帰ろうかくらいに思いつつ、その山奥の避難所の小学校を尋ねました。ところがあんまり人気がないんですよ。あれれ?「ごめんくださ〜い」と声をかけると女性の職員さんが奥から出ていらした。あの〜ここって避難所でしたでしょうか?

 「午前中まで避難所だったんですけど、お昼くらいに皆さんバスで埼玉に移動しましたよ」

 あ、そうでしたか!別にそんな大した用事とかではないので大丈夫です失礼しました! そんな訳で赤面しながらその小学校を後にしました。まいっちゃったな、白い目で見られることは想定していたけどまさかこんなことになるとは実に恥ずかしかったです。

 あーあ、なんだよこれ、地震の被害なんか別にないし放射能なんて見えないし、新潟とさっぱりかわんねーじゃん。海の方に行ったら津波の後とかあんのかな。福島は原発が大変なだけで地震の被害は大したことないんじゃないか、津波の跡でも見て帰って地元の救援物資を集積するところに渡そうかという事にしました。なにしろとても恥ずかしかったのです。

 一番近い海は、ナビで調べると南相馬市でした。そういえば南相馬の皆さんが新潟に8千人くらい避難されていると新聞や地元のニュースで見ていました。これも何かの縁ではないかと、本当はいわき市に向かいたかったんだけど、距離があって帰宅が遅くなったりガソリンが無くなったりしても困ります。

 海に向かっているのはナビで分かるんだけど、とてもいい天気でのどかな田舎の住宅街が広がるばかりでした。ちょっと屋根が壊れていて青いビニールシートが被せられている家が目につきました。そして、人が全然歩いていなくて、対向車もさっぱりいない、人気のなさが尋常じゃないことに気づいてしまいました。自衛隊の車両がやたらいて、パトカーに乗っている警察官が防護服を着ている。

 道の前方が泥でよごれていてなんだろうと思って横を見るとぐしゃぐしゃの車が田んぼを転がっていて回りはごみや瓦礫が散乱していました。道は瓦礫でそれを避けるように車のわだちが出来ていてそれに沿って進むと電柱が折れ曲がって電線が垂れ下がっていました。信号は消えています。高台の家ですら入り口に瓦礫が詰まってぐしゃぐしゃになっていました。道の先に海が見えるけど、瓦礫に埋もれて先に進めなくなりました。もう車種がなにか分からないスポーツタイプの車が転がっていて、中をのぞくとハンドルにフォルクスワーゲンのマークがありました。ボンネットがなくなっていてそこに楽譜の冊子が入っていて、近くにオルガンが転がっていました。流されてばらばらになった家のものだと思いました。テレビで散々見たような景色だとは理解できるんだけど、現物の圧倒的な存在感にため息すら出なくなってしまいました。野次馬根性でこんなところに来てしまって非常に申し訳ない気分になりました。この瓦礫が元は立派な家で家族が生活を営んで、フォルクスワーゲンは一週間前まで元気に道路を走っていたなんてとても思えなかった。

 オレが見たのは被害のほんの一角で中にはもっとひどい場所もあるんだと思いました。ほんの一角ですら大変な衝撃だったので気仙沼なんて立っていられないかもしれない。

 帰りにあった最初の自販機でコーラを買おうと車を寄せるとガリガリガリと変な振動があって、パンクしたのかと思いました。パンクではなくて、車体の下にタイル張りの流し台みたいなのが入りこんでしまい、バックしても前進しても取れなくなった。バチが当たったんだと思いました。なんとか前進で取り外して危ないから道の端に寄せようとしたら重くて動かなかったです。こんな重いものをどこからか運ぶ津波のパワーに畏怖しました。

 津波は洪水とは桁違いじゃないかな。ぐぐぐぐっと重い塊のようなものが押し寄せて全てを押し流しながら破壊していくんだと思いました。洪水も鉄砲水みたいなのはそんななのかもしれないけど、被害範囲の大きさが凄まじいんだと思います。

 改めて自販機でコーラを買おうとしたら電気が止まっていた。当たり前ですよね。でもそこから5分くらい運転するともう自販機で普通にコーラが買えました。なんだよこれ、あまりに近くて呆気ないよと思いました。

 このまま帰ってしまったんではただの野次馬じゃないか、野次馬のまま帰るのは嫌だと真剣に思いました。本来の目的は誰かの役に立つだったんだけど、あつかましくも感謝されてみたいだなんて思ったあげく、なんだか恥ずかしい思いをして、ひどい破壊の爪あとを見てしょぼくれたまま帰るなんて嫌だ。南相馬市の市役所があって、そこの張り紙で近くの施設で救援品を受け付けている事を知りました。

 でもこんな個人のしょぼい救援品が受け付けていただけるかどうかは不明だし、もう南相馬市の人々は避難して物品は必要ないかもしれない。もしいるものがあったら教えていただけませんか?というアプローチをする事にしました。救援品を受け付けている施設には大きなトラックがダンボールの物品を下ろしているところでした。大量のペットボトルが並んでいたりして、オレの持ってきた救援品があまりにしょぼくてまた恥ずかしくなってしまいました。係りの人に「済みません、あの〜オムツなど持ってきているんですが必要でしょうか?」と聴いてみたところ、そうですか、いただけるものは全部いただきます!ととても嬉しそうに受け取ってもらえることになりました。その場にいらした南相馬市のご夫婦の方が「わざわざ新潟からですか」と南相馬市を代表して褒めていただいて、よかったとようやく安心しました。来てはいけなかったというような気分だったのでとても救われた気分になりました。お役に立てれて嬉しいです!ただの野次馬のまま帰宅するはめにならず、ありがとうございました! こんな時に場違いで申し訳ないですがと断って自費本の『ゾンビの森』をお渡しすると笑って受け取ってくださいました。奥様はお子様が二人いらして更におなかにも赤ちゃんがいるとのことで、なのにすらっとしてとても美しい人で、ご主人もとてもすらっとしたかっこいい方でした。こういった方がいらっしゃるとは南相馬市も安心だ!

 いつまで受け付けているか分からないですが、昨日の時点では小川町体育館で救援品を受け付けてくださいます。サンライフ南相馬の横です。

・小川町体育館の地図


 帰りのラジオ福島では、福島の原発が東京の電気の3分の2をまかなっていて、それがすなわち日本の経済を支えていたのだ、ぜひ福島の災害と思わず日本の災害と捕らえて欲しいと平静な口調のアナウンサーが淡々と語っていらっしゃいました。帰り道はすっかり暗くなって山は霧が発生して恐ろしかったです。高速道路が一般車も通れるようになってガソリンの供給が安定したら、仙台の皆様にもお見舞いを持って訪れたいと思いました。

 ちょうどガソリンがなくなるかどうかという頃合で自宅に到着しました。被災地のガソリンを使うこともなく、友達に借りたガソリンを使わずにすみました。満タンの給油で往復できる距離で大変な災難が起こっているのです。